元旦に続いて昨夜見た映画が Wim Wenders 《Perfect Days》。表面的には、日本のトイレはきれいですばらしい、単なる繰り返しに見える日常のなかに美しいものが隠れてる、というありきたりなメッセージの映画に見えてしまうんだけど、実は深い問いが隠された映画な気がした。
主人公平山は仕事、生活のほぼすべてを円環的なルーチンの中に組み込んで生活している。同じ時間に目覚め、おなじ缶コーヒーを飲み、おなじ道を通って、仕事場所であるトイレをまわって清掃していく。神社の境内でコンビニのサンドイッチと牛乳でランチを済ませ、木漏れ日の写真を撮る。仕事が終わると家に帰って着替え、一番風呂に入り、行きつけの酒場でサワーとともに軽い夕食を済ませる。夜は古書店で買った文庫本を眠くなるまで読む。これがデイリーのルーチンだ。平山はいつも穏やかで無口だがこのルーチンが乱されると感情をあらわにする。
これを永劫回帰にも耐えられるようなパーフェクトな日常を作るという挑戦であるとも、社会や家族が押しつけてくる基準や責任からの逃避ともいうこともでき、おそらくこれらはコインの裏表だ。平山の情緒的に未成熟な面も描かれていたように思う。この映画への感想として社会的な視点の欠如というのを挙げている人が多い気がするが、それはそのまま平山の生き方への批評でもある。映画ではそういう外部的な評価は脇に置いて、あえて平山の視点から内在的にその世界を描いている。毎日ほぼ同じだからこそ気づける差異と驚きに満ちていて、観客としてじわじわとその世界に耽溺してしまったぼくがいる。
というわけで今日はPerfect Daysロケ地ツアー。渋谷のトイレはほとんどなじみ深い場所であらためて訪れるまでもない気がするので、隅田川周辺を巡る。まず東京駅でスパゲティーで腹ごしらえをしてから亀戸へ。
歩き始めてすぐにひとつ大きな失態をしたことに気づく。イヤフォンを自宅に置いてきてしまったのだ。平山は古い洋楽のカセットを車内でかけながら移動する。その選曲がすばらしい。今日はそれを聴きながら歩くつもりだったのに、ほんとうに残念だ。
細くて味のある商店街から緑の多い曲がりくねった路地。その先に最初の頃はスポット天祖神社がある。ここの入口から前の箒の音とともに毎朝平山は目覚める。実は平山のアパートはそのほんとうに近くで、箒の音が聞こえても不思議のない距離にある。外観はそのままだが缶コーヒーを売ってる自動販売機はない。映画そのままにサンクチュアリ的な静かさをたたえた一画だった。
次に向かうのは平山が毎日一番風呂に入る銭湯電気湯だ。立派な人道橋で川を渡ると江東区から墨田区に入る。キラキラ橘商店街からいかにも元川筋のような蛇行した道をすすむと3階建てのビルの1階に電気湯の暖簾がかかっていた。入口しかみなかったがこぢんまりとした銭湯だ。
墨田区内にはほかに平山が休日にいくコインランドリーがあるようだったが、コインランドリーはどこでも同じな感じがしたので、今回はスキップして隅田川を渡ってしまうことにした。X字型の人道橋桜橋。黄色いライトの上には群青色に染まる空が広がっていた。この橋を仕事を終えた平山は毎日通る。
対岸は台東区。まずは休日に平山が訪れるスナックへ。浅草の裏手の通りをかなり奥に入っていくと銭湯の向かいにそのスナックはある。ここで平山は石川さゆりが演じているママや常連客の話に耳を傾けながら静かに酒を飲む。できれば店の灯りがついていてほしかったが、今日はまだ正月三が日。当然休業だ。浅草寺をぐるっとまわりこんで花やしきから伝法院通り。ここにも平山が休日に行く古本屋がある。残念ながらシャッターがおりてしまっていた。
浅草駅へ。地下に降りると、平山が仕事の後サワーをのみながら夕食をとる居酒屋がある。ここも今日は休み。この地下街はあまりにレトロすぎて昭和というより未来を感じてしまう。なぜか地面がびちゃびちゃに濡れていてアナーキーだった。
これでロケ地巡りは終わってモチベーションが一気にしぼむが、散歩は続く。お茶を飲んだくらいじゃ回復しない。基本隅田川に近い道を選んで都心方面へ。蔵前、柳橋、東日本橋。郊外だとトイレは探さないとないが、このあたりでは向こうからやってきてくれる。浜町公園ですっきり。ちょっと座って疲れを癒すが、いずれにせよもうすぐ散歩は終わりだ。ちょうど軽く雨が落ちてきた。人形町で今日は幕。
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