丸の内で蕎麦を食べて高崎線に乗る。東京は晴れていたのに埼玉を北上するにつれ雲行きが怪しくなってきた。初めての鴻巣駅で賑やかな東口側に降りたつもりだった。ロータリーや駅前通りは新しいけど店はほとんどないしさみしいという感想だったが実は降りたったのは西口だった。そのことに気がつくのはずっと後のことだ。
小雨が舞っていた。これから強くなる感じはない。いつもの蒸し暑さがなくてさわやかに感じた。久々にハイペースで歩けそうだった。脳内では東に向かい東武伊勢崎線沿線を目指すつもりだった。予想より早くあたりに農地が増えてきて河川敷のようなものが垣間見える。鬱蒼とした林があらわれて、入口のところに伝源経基館跡と書いてあった。経基は清和源氏の始祖で武蔵介として赴任したときにここに館を築いて住んだと伝えられているそうだ、国府のある府中からこんな遠いところにと思うが、「こうのす」の「こう」は「国府」という説もあるし重要な拠点のひとつなのは間違いないようだ。
河川敷らしきエリアはいったん見えなくなったがそちらの方に踏み込む道がないのでむしろ存在感を増して、これはどうやら脳内地図が180度回転してるんじゃないかと疑念が湧いてきた。ようやく河川敷を突っ切れそうな道に出て橋へのランプをのぼるとそこに書いてあった川の名前は荒川。やはり逆だった。乗りかかったら舟ならぬ渡りかかった橋の名前は糠田橋。もうこのまま渡るしかない。行手の空は明るかった。荒川は大河と思っていたがこのあたりでは河川敷ばかりがやたらに広くて肝心の川筋は案外狭い。
対岸は比企郡吉見町。右手は河川敷、左手は農地でしばらくそれることができずまっすぐ西に進む。橋上から見たのとは方向がずれていて、行手は稲光がきらめき、心なしか雨足が強くなってきた。1km以上進んでようやくあたりに家があらわれて左側に通り抜けられそうな道が見えた。稲光の方向に進み続けたくないので曲がる、農地の間を抜ける道だ。歩道もない。しばらくするとあたりがまた街になって歩道が分離された。まっすぐで見通しがいい道があらわれたので右折。行手には時折雷鳴が轟くがコンビニがある開けたエリアにつながっていた。
コンビニでドリンクを入手してそろそろ目的地を考える。車なしでは陸の孤島のような場所だった。やはり西の東武東上線沿線に近づくしかなさそうだ。西南方向にのびる県道345号に入り込む。夕闇が濃くなってきた。完全に夜になって川が入り組んだエリアへ。夜の川面はちょっと怖い。橋を渡るとようやく吉見町から東松山市に入った。いったん市街地に入る。ショートカットするために左折したらまたもや農地の間へ。ちょうど雨足が強くなって今日初めて傘をさした。幸いそれ以上強くはならず、数キロ先で傘をたたむことができた。
ピオニウォーク東松山というショッピングモールを通り抜ける。エアコンが効いていて気持ちよさを通り越してちょっとひんやりした。向こう側の道を直進すると東武東上線高坂駅にたどり着いた。
結局ずっと雨が降っていたが、電車で通り過ぎた朝霞あたりは土砂降りの雨が降っていてこれに巻き込まれなかったのはむしろ幸運といっていいかもしれない。
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